【音楽雑記】CheapTrick来日記念!バン・E・カルロスと地下室の記憶「Bun E.’s Basement Bootlegs」が物語る静かな戦い

音楽

こまめにアップされる、「Bun E.’s Basement Bootlegs」
貴重なライブやリハーサル、デモ音源があがっとる。
はたして、バンド側とバン・E・カルロス(以下バーニー)にどういうやり取りがあったのか、想像してみた。
あくまでも個人的に考えた話なんで、そこんとこはたのんばい。

さかのぼってみるけんね。

バーニーの活動は1970年代の初期から始まる。
1974年に正式加入して以降、彼は毎夜のようにライブを録音しよった。
Goldmine Magazineのインタビューによれば、DATテープやCDをバケツいっぱいに買い込み、ツアー後は宿泊先でひとり黙々と音源を聴き返しよったげな。
単なるパフォーマンスの確認やなか。
彼にとって録音とは、バンドの魂を守る行為やったと思う。

しかし、その献身は必ずしも理解されていたわけではなかったっぽい。
Cheap Trickの他メンバーが次の作品やステージに意識を向ける中、バーニーは“昨日の音”にこだわり続けたっちゃなかろうか。
バーニーはミュージシャンであると同時に、記録者としてバンドの歴史を背負っとったったい。

その誇りが、後年、バンドとの微妙な距離を生むことに。
2000年代後半、ツアーから外されるという形で事実上の活動停止を迎えたバーニー。
表向きは健康上の理由とされたっちゃけど、本人はインタビューで「ロビン・ザンダーとの個人的な不和が原因だった」と語っとる。
そして2015年、彼は正式メンバーとしての地位と活動参加を求め、Cheap Trickを提訴・・・。
この裁判には、表立った争点以上に、記録者としての誇りと疎外感が浮かび上がっとった。

当然、こん時の裁判では、音源に関しての今後のやり取りがあったっちゃなかろうか。

争点:「記憶(記録)の所有権」
バーニーは1970年代からライブ録音・デモ・リハ音源を個人的に保管しとった。
それらは単なる資料じゃなく、バンドの“記憶”そのもの。
訴訟では、その音源の所有権・公開権・収益分配が争われた、はず。

ちょっとドラマチックに言うたら、「音源を持つ者が、語る者になる」ってことばい。
バーニーはツアーから外されても、“音”という記憶を持っとった。
彼の保管音源は、バンドの公式記録よりも熱量があると評価されとるらしか。
つまり、契約外のメンバーでも、“記憶の証人”としての力を持っとったたい。

例えば、この訴訟での内容については、俺でも容易に想像はできる。
バンド側としては、音源を収益やブランド管理、商品としていずれアーカイヴ的に発表することも考えとるやろう。
バーニーとしては、記憶(記録)として、歴史的な観点とファンへの還元、とかで考えてたんやと思う。

そんな状況の中、ひとつの節目が訪れたっちゃん。
2016年、Cheap Trickがロックの殿堂入りを果たす。
かつての栄光を象徴する舞台に、バーニーも招かれた。
そして4人での共演——それは、音楽が再び絆を紡いだ一夜として体験したかった。
互いのスピーチには感謝の言葉が並び、見えない壁は一時的に解けたように見えた。

ばってん、それは束の間の奇跡やった。
以降、バーニーがステージに戻ることはなく、彼は再び記録者としての立場に戻る。
音を叩くのではなく、音の記憶を守る側に回ったったい。

Cheap Trickというバンドは、華やかなステージと賑やかなファンの歓声に包まれながら、静かな音の記録者によって支えられてきた。
そしてその記録者は、自らの誇りを守るためにバンドと距離を取った、ってことやなかろうか。

ちなみにいろいろ調べたら、なんとこの音源の一部は、CD-Rみたいな形で、限定1000枚ナンバリング付きで、オフィシャルサイトとファンクラブで販売されとった。
しかもバーニーのイラスト画像がついとる。
まぁ当然入手困難感は拭えんけどね。

2022年のチープトリックアルバムガイド&アーカイヴズって書籍のインタビュー記事で、ロビン・ザンダーが、未発表音源がたくさんあるって言うてたけど、もちろん、このバーニーの音源のこと指しとるんやろうね。
いずれはちゃんとオフィシャルで発売になるんやろうか。
いや、ちゃんと発売して、バーニーにも配当がきちんと行きますように。

バーニーのイラストがいい感じばい。

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