【音楽雑記】紙ジャケCDは、音楽を五感で聴くためのメディアばい——ちょっとめんどくさかばってん、それがよか!

音楽

今回は、紙ジャケットCDについて語らしちゃんない。(以後、紙ジャケで)
紙ジャケ信仰は、音楽を五感で味わうための儀式ばい。
音を聴くだけやなか。
ジャケットの手触り、印刷の質感、帯の文字、匂い、そして時に仕掛けまで——それらすべてが、音楽体験を“物語”に昇華さるったい。

英語では「Mini-LP」とか「Paper Sleeve」と呼ばれることもある紙ジャケ。
アナログレコードのジャケットをCDサイズに縮小し、当時のギミックや装丁を可能な限り再現する。
そこに日本ならではの職人魂が宿るんよね。
たとえば、フェイセズの『ウー・ラ・ラ』。
ジャケットの顔を押すと、目が動き、口が開く。アナログ時代の遊び心が、紙ジャケ復刻で蘇る瞬間ばい。持っているだけで、にやにやしてしまう。
聴かなくても、棚から取り出して眺めるだけで満足してしまう。
そんな“フェティッシュ”な魅力が、紙ジャケにはある(キッパリ)。

そういえば、最近は紙ジャケ仕様のアルバム発売が、めっきり減った気がするっちゃん。
基本的にはリマスターされた音源が、初回プレス限定で紙ジャケ仕様として登場する(んよね)。
そりゃコストもかかるし、そうなるよな……と納得しつつも、やっぱ寂しか。
中古市場でも、紙ジャケはそこそこな値段になっとう。
特にビートルズは安定の高値。
プログレ系も根強い人気があり、帯付き・美品となると、ちょっとした宝探しやけん。

紙ジャケの魅力は、単なる“懐古”やなか。
あの小さなサイズに、当時のポスターやライナー、ステッカーなどの“おまけ”がぎゅっと詰め込まれとる。しかもそれが、驚くほど精巧に作られとるっちゃん。
ようわからんばってん、ジャケットのサイズも当時のE式を再現しとります、とか書いてあったりするばってん、もうそこまできたらようわからん。
さすがメイド・イン・ジャパンとしか思えん、このおこだわり。
凄かばい。
以前どこぞで読んだ記事によると、基本的には権利を持つ海外レーベルにお伺いを立て、日本で制作するという流れらしか。
つまり、紙ジャケは“日本独自の文化”として、世界に誇れる音楽メディアになっとるったい。

とはいえ、紙ジャケには“めんどくさい”部分もある。
プラケースと違ってサイズが微妙に違うから、棚に並べると高さが揃わん。
ディスクユニオン限定で帯付の紙ジャケとかくさ、帯が外れやすかけん、別途専用の袋(これもディスクユニオンで買った)に入れて保管する手間もあるったい。
湿気や日焼けにも気を使うし、ギミック付きのジャケはあまりいぢりよったら壊れやすか。
気軽に持ち出すには向いとらんし、貸し借りなんてもってのほか。
そやけん、貸してほしいとか言われたら、音源焼いてプラケではい、あげる、ってのが定番。
そこまで潔癖症やなかけど、美術品のように、そっと扱わなきゃいかんのもある。
でも、だからこそ愛着が湧く。
手間がかかるからこそ、紙ジャケは“育てるメディア”なのかもしれない。
今で言う、手間がかかるアナログレコードを聞くというひと手間が、好き!ってのと同じ感覚。

紙ジャケは、音楽を聴くという行為に、触覚・視覚・嗅覚・記憶を加えると思う。
五感を総動員して、音楽と向き合う。
そこには、静かな情熱があるったい。
Quiet Heroism(この表現、なんかかっこよかろ?)とも言えるような、誰にも見せないこだわりと愛がある。
棚に並んだ紙ジャケたちは、ただのCDやなか。
自分だけの小さな美術館であり、記憶のアーカイブであり、音楽との密やかな対話の場なんよね。

俺なりに思うのは、やっぱり欲しいものは手元に置いておきたいってことなんよ。
紙ジャケでも、プラケでも。
音楽を体感するには、ちゃんと“形あるもの”がそばにあることが大事なんよね。
音だけじゃなく、触れること、見ること、しまうこと——そのすべてが、音楽との関係を深めてくれるったい。
だから今日も、棚の前で紙ジャケを手に取って、にやりとする。
それが俺の、静かな儀式やけん。

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